2016年11月22日火曜日

『自我の起源』(真木悠介 岩波)【感想】

2007年9月に書いた感想文の改訂版です。
夢香
 著者は巻末の補論1で「この仕事は、次のような全体構想を持つ〈自我の比較社会学〉の、第Ⅰ部の骨組みである」とのべています。ⅡからⅤ部は夫々原始共同体、文明諸社会、近代社会、現代社会、に対応するとのことだそうです。何と雄大な計画!
 第Ⅰ部に含まれている本書は、人間の自我の起源を、地球上に生命体が誕生するところまで遡って考察していますが、それは自己を意識している人間という存在自体が、重層的に構成されてきた生物体であるという認識に基づいていると、著者が考えたからだと思います。
 生物体としての人間が知識として理解されたとしても、それだけで人間の自我の起源が解明されるわけではないことは言うまでもありませんが、その知識は人間の自我というものに対する思考を深める力を持つものだと読み取れました。
 本書は、自我をもつ人間存在に対する理解を深めるために、また、生物科学などの科学的知識を短絡的に人間や社会に適用することの危うさを知るためにも、とても役立つと思います。
 追記、真木悠介は見田宗介先生の別名です

2016年11月13日日曜日

『憲法とは何か』(長谷部泰男著、岩波新書)

土地勘のないところで迷わないようにするには苦労する。新書でも結構理解するのが難しかったので、よく分からないところは自分で適当に解釈して分かったように書いてみた。それでも書いている内に長くなってしまい、残念。

「 」内は文章の引用、( )内は私の注解など

はしがき
憲法には、権力を制限することで人々の自由と権利を守る役割という側面と、人々の生活や生命を危険にさらす危険性という側面もある。
本書は、憲法が立憲主義に基づくものであるという立場を取っている(立憲主義については後述)。冷戦の終結は立憲主義の勝利をもたらした筈であったが、このことの意味は十分認識されておらず、平和、安全、環境など国境を越える様々な危機が問題となっている。

第一章 立憲主義の成立
1 ドン・キホーテとハムレット
多元的な世界
近代小説の嚆矢といわれる『ドン・キホーテ』(1605年出版)は多元的世界の出現を象徴している。中世騎士の世界に没入したドン・キホーテの冒険は、至る所で複雑に入り組む現実の網の目に囚われて挫折する。著者は、現代を代表する小説家ミラン・クンデラの言葉を引用して、近代という神なき世界の始まりを表現している。「彼(ドン・キホーテ)にはもう世界を識別することはできませんでした。至高の「審判者」不在の中で,世界は突然恐るべき両義性の中に姿を現しました。神の唯一の「真理」はおびただしい数の相対的真理に解体され,人々はこれらの相対的真理を共有することになりました。」
ハムレットの「良心」
著者は、シェークスピアの悲劇『ハムレット』(1600-1602年頃)もまた、近代世界に生きる人々の苦境の表現として例示している。悩むハムレットは、宗教が分裂し価値観が多様化した世界で新たに現れつつあった個人の良心を象徴している、と。

2 立憲主義の成立
比較不能な価値の対立
「ドン・キホーテやハムレットは、自ら望んで、価値観の多元化した世界を生きたわけではない。それは如何ともし難い、与えられた事実である。できることなら、彼らも、何が真実で、何が正義かについて思い悩む必要のない、たとえば『遠山の金さん』や『水戸黄門』の描くような世界を生きることを望んだはずだ。」
異なる価値観・世界観は互い比較不能である。比較不能な価値の対立は、その価値が大切なものであればあるほど深刻となる。宗教はその典型であるが、21世紀の今においてもなお比較不能な価値の対立は世界各地で災いをもたらしている。
公私の区分
「人間らしい生活を送るためには、各自が大切だと思う価値観・世界観の相違にもかかわらず、それでもお互いの存在を認め合い、社会生活の便宜とコストを公平に分かち合う、そうした枠組みが必要である。立憲主義は、こうした社会生活の枠組みとして、近代ヨーロッパに生まれた。」
立憲主義に基づいた社会の実現には、私的な領域と公的な領域を区分して、私的領域では各位が信奉する価値観・世界観に沿って生きる自由を保障し、公的な領域では社会の全てのメンバーに共通する利益を見つけ出してそれを守ることが必要となる。
政治プロセスの適正化
政治のプロセスが誤った選択をしないような社会の仕組みが必要である。そのことを狙いとして、立憲主義に基づいた憲法はある。
「公的領域と私的領域の切り分けは、個人の自由を保障するためだけではなく、政治のプロセスがその役割を適正に果たしていくためにもなくてはならないものである。」
政治のプロセスがその役割を適正に果たすことを狙いとする仕組みは、他にもある。たとえば、マスメディアの報道の自由、軍備の制限などがそれである。前者には、開放された自由な政策論争を可能にするという狙いがあり、後者には、政治のプロセスが軍事問題について誤った選択をしないように選択肢の幅を予め制限するという狙いがある。

3 日本の伝統と公私の区分
日本社会の公と私
「人は、もともと多元的な世界の中で個人的に苦悩などしたくない。みんなが同じ価値を奉じ,同じ世界観を抱く「分かりやすい」世の中であれば、どんなにいいだろうと思いがちなものである。そうした世の中では,一人一人が生き方を思い悩む必要もなく、「正義」や「真実」を巡って深刻な選択に直面することもなく,後でその選択について責任を追及されることもない。」
丸山真男が言うように、戦前の日本型ファシズムの精神は、公的領域と私的領域が区別されていないものであった。しかもその精神を他国・民族に押し及ばそうとした。そこには、自由に選択して決断する領域はなく、自らの行動に責任を取る用意もない。
(同じようなことが現在も生じている)他国に人権侵害があるとみなせば自国の軍隊を派遣して「人道的に介入する」ことなどがそれである。国家主権の理念が人権侵害を隠蔽する危険があったとしても、主権平等・内政不干渉原則[1]を放棄することは、より戦争の多い、したがってより人権侵害の多い世界をもたらすものである。

4 本性への回帰願望?
「分かりやすい世界」へ?
「この(多元的な価値を承認し合わねばならない)近代世界に生きることに嫌気がさして,憲法を変えるとなんとかなるのではないか<中略>、人々が一つの価値観・世界観に基づいて生きる「分かりやすい」世界が実現できるのではないか、との夢を描く人がいても、それが現実的な企てかどうかは別として,これまたさして不思議ではない。<中略>日本の「歴史、伝統、文化」とか、日本人としてのDNAとか言い出す人が出てくるのは、そういう意味[2]では自然なことである。」(しかし、このような気持ちを憲法に盛り込もうとすることは立憲主義に反することであって、したがって人々を却って不幸にするものである)

5 憲法改正論議を考える
(以下、主に自民党の日本国憲法改正草案が検討の対象となっている)
立憲主義に基づいた憲法の役割は、政治のプロセスが入りこむ領域を制限したり、政治のプロセスの働き自体を損なわぬように、政治が行う選択の幅を制限することであるが、昨今の憲法改正論議にはこの理解が欠けている。
特定の価値の導入?
(私的領域に属する価値観を憲法の文言に記載することは、その価値観を認めることができない人々を排除・強制・敵視することになり危険である。)
「他人の心持ちをどうこうしようと思って、何とかなるというものではないし、憲法に書けば書けば、何とかなるというものでも、もちろんない。」
新しい人権・責務
誰もが反対しないような正しそうな善いことであっても、立憲主義に基づいた憲法に書いても意味をなさないどころか、不明瞭さを持ち込むことになるから危険となる。
プライバシーの権利や環境権は、国会の制定法や裁判所の判例を通じて具体化されなければ実効性がないから意味をなさない。
「国を守る責務」についても、同様な理由で憲法の文言に書き込んでも意味をなさない。それどころか、法律的論議とは別に政治哲学や道徳哲学の点から見て、守るべき「国」とは何であるか、その国を守る「責務」とは何であるかという問題が発生する(後述)。
九条改正論
「従来の政府解釈で認められている自衛のための実力の保持を明記しようというだけであれば,何の意味もない「改正」である。」(自衛のための実力の保持は現行の憲法を改正する必要なくできる)
(軍事力、軍事行動についての)従来の政府解釈で設けられているさまざまな制約を変更するなら、変更した後の軍事力、軍事行動の制約がどのようなものになるのかを明示しなければならない。例えば集団的自衛権の否定という制約を変更するならば、どこの国とどんな軍事行動について連携するのかについての定見がなければならない。例えば、アメリカが台湾を実力で防衛するとき、日本はアメリカと組んで中国と戦争するのかしないのか、など。軍事力の制限が曖昧な部分は政治を信頼してくれというのであれば、憲法は不用である。
財政均衡条項を書き込むという提案についても同じことが言える
なぜ厳格か
省略

6 「国を守る責務」について
守るべき国とは何か
自民党の「新憲法草案」に含まれている「帰属する国や社会を<中略>自ら支え守る義務」というような記述それ自体には法的な意味はない。しかしここには大きな問題が潜んでいる。国民に対して守るよう要求できる「国」とは何であろうか。
憲法が要求する「守るべき国」は、国土とも、人々の暮らしとも厳密には一致しない。刑法の内乱罪は憲法の定める統治秩序の壊乱だし、公務員に要求されているのも憲法への忠誠である。
「古代ギリシャ以来、「政治犯罪」とは、現行の憲法に対する犯罪であって、憲法によって構成される以前の裸の国土や人々の暮らしに対する犯罪ではない。」
憲法秩序と国土・暮らし
悲惨な犠牲を課す戦争をしてでも守るよう憲法が要求しうるのは,あくまで自分自身(主権者である国民)の基本原理(合意に基づいた作られた国家のあるべき姿)である。
日本人が太平洋戦争を通して守ろうとしたものは戦前の憲法の基本秩序(国体)である。「国体」の内容は天皇主権と資本主義経済秩序であった。戦後の新憲法は、国土と暮らしを守るために、それまでの「国体」を変更して作られた。
冷戦下で争われたものも、共産主義かリベラル・デモクラシーかという憲法の基本原理である。国土と人々の暮らしを守るには、憲法を書き換えるべきことに東側諸国が気付いたとき,冷戦は終わった。
テロの時代と平和主義
前項で述べた理由から、憲法第九条を変更ことは、「国を守る」ことになるのかどうか疑わしく、現行憲法の基本原理の一つである平和主義を掘り崩しかねない危険を孕んでいる。
国際的なテロの脅威に対処するためには、平和主義を犠牲にしてでも、権威主義的な国家を打倒してリベラル・デモクラシーを輸出する英米とともに戦うべきだという議論は的を射ていないように思われる。9・11テロの首謀者モハメド・アタが過激思想を身につけたのは権威主義的な国家においてではなくドイツでの大学生活においてであった。2005年7月のロンドン連続爆破テロの犯人も、イギリス国内の移民社会の出身であった。
問題所在は、伝統的なイスラム社会を基盤とする権威主義的な国家にあるのではなくて、そこで進む近代化・西欧化と国際化、さらには、リベラル・デモクラシーの理念と現実が乖離した現代の欧米社会にある。問題なのは、既に社会を束ねる力を失ってきているイスラム教という伝統的な紐帯を超えた「普遍的なイスラム原理主義」なるものが若者の心を捉え始めたことである[3]。
「日本がリベラル・デモクラシーの擁護に貢献できるとすれば、平和主義のもとで培われた日本への信頼を裏切って戦争による民主主義の輸出に加担することでも、市場万能主義の名の下に弱者切り捨ての経済政策を追求することでもなく、むしろ、現実のヨーロッパ社会のあり方を超えて,多様な価値観や文化を抱擁する公平で寛容な社会のモデルを創造することによってではなかろうか。」

第二章 冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利
立憲主義を、そしてそれに基づくリベラル・デモクラシーを採らないという選択もあるが、その選択の意味を、冷戦終結の意味を探ることで考えていくのが本章のテーマである。

1 国家の構成原理としての憲法
憲法を巡る争い
冷戦は、1980年代の終わりに終結した。「冷戦とは、他の多くの戦争がそうであったように、相手方の権力の正統性原理である憲法を攻撃目標とする二つの陣営の敵対状況であり、それは、一方の陣営(東側)が自らの憲法を変更することで終結した。第二次大戦がドイツと日本の憲法の変更によって終結したのと同様である。」
ここで言う憲法とは、憲法典の内容全てではなく、国家の基本となる構成原理を指す。もう少し詳しく言えば、憲法制定権力の担い手によって決められたものであり、その改正の限界を構成するものであり、国の危急存亡の際に政府が発動する権力(国家緊急権)による保障の対象となるもの[4]である。
憲法典[5]改正の議論には、国家の基本となる構成原理を指すという意味での憲法と言う視点が大切である。

2 ルソーの戦争状態論
ルソーのホッブズ批判
ルソーは、社会平和の実現についてのホッブズの考え[6]は誤りであると述べている。なぜなら、ホッブズは自然状態に代わって国家が作られれば社会が平和となると言っているが、国家間で現に起こっている戦争は、平和どころか自然状態では想像もつかなかったほど大規模な殺戮をしているからだ、とルソーは言う。
ルソーの見立ては次のようなものである。戦争の一因は周辺で起こるあらゆる事態が自国の平和と安全に関わるものとして懸念の材料となるからであり、そうなるのは、自然によって限界を与えられている人間の欲望とは違って、社会契約に基づく人為的構成物である国家の欲望には限りがないからである。
戦争の即自解決の道
「戦争は国家間でしか発生しない。しかし、だからこそ、それは生身の個人の命を全く奪うことなく、終結させることができるというのが、ルソーの結論である。」
国家は社会契約に基づく人為的構成物だから、この約束事を取り去れば戦争は終結する、と言うルソーの結論は空論ではない。そのことは現代の冷戦終結が示している。東欧諸国は共産主義に基づく憲法を廃止して議会制民主主義を採用することを明らかにした。
「全人類を滅亡させるに足る大量破壊兵器をもって,しかも敵対する陣営の消滅を目標として二つの陣営が対峙するとき,終末論的帰結に至ることなく対立を終結させる手段としては、ルソーの描いたもののみが考えられる。」

3 三種の国民国家
国家像の変貌
冷戦は第一次世界大戦から始まった長期の大戦争の一環であり[7]、この大戦争をもたらしたのは十九世紀後半の軍事技術の革新と、その軍事技術の革新がもたらした国家像の変貌である。
十九世紀中頃には銃火器の精度が向上し、それまで威力を発揮していたナポレオンの戦法[8]が通じなくなり、ビスマルクの戦略[9]が軍事的成功を収めるようになった。このビスマルクの戦略は、徴兵制によって大量の国民を長期に動員することを要請した。このことは国民の政治参加と民主化を推し進める必要性を生じさせ、福祉国家政策を導くことになる。
「大衆の戦争参加への強制が、全国民の安全の保障と福祉の平等な向上、そして文化的一体感の確保を国家目標とする国民国家を登場させたわけである。」
三者の闘い
その後の国民国家間における国際政治史は、このような国家目標の達成を争う、国家権力の正統性に関する争いとして理解することができる。正統性に関わり敵対したイデオロギーは主に三つあった。リベラルな議会制民主主義、ファシズム、共産主義、がそれである。この三者が第一次世界大戦後の各国の政治の基本的な枠組み、つまり憲法を決定するモデルとなった(『現代議会主義の精神史的地位』(カール・シュミット、1923年))。

4 シュミットと議会制民主主義
シュミットの議会制批判
しかし、カール・シュミットはこのうちのリベラルな議会制は既に過去の統治形態であるという。つまり、この統治形態は、教養と財産を備えた階級だけが政治に参加することが前提されているが、大衆が政治に参加し、彼らを組織し多様な私益を代表する政党が競合・対峙する現代の議会では、既にリベラルな議会制の意義は失われ「議会制度は、結局のところ、諸党派と経済的利害関係者の支配のための性悪な外装(Fassade)になって」おり、その結果、国家は社会の種々雑多な要求を全て顧慮せざるを得ない弱々しい国家「全体国家(totaler Staat)」[10]へと堕落している、と言う。
敵対関係と国家間関係
議会制民主主義に対するカール・シュミットの診断は、近代国家に対する彼の考えに由来している。その考えとは、近代国家の内部にはもはや行政しかなく、政治は存在しない、というものである。
つまり、近代国家は私闘も宗教戦争も終結させ、自国内には平和と安全を創出したが、それは社会内部の敵対関係を国家間の敵対関係へと括り出したことであり、「政治的なるもの(das Politetische)」は国家と国家の関係、「敵」と「友」をはっきり区別した関係としてもはや内部にはなく、全国民に共通する利益は立法活動を通じて実現されるはずである、というのである。
シュミットにとっては、リベラリズムの下での国家は「政治的なるもの」を直視できず、内部における利益分配装置へと退化していくものとなる。
治者と被治者の自同性
シュミットの指し示す道は、リベラリズムの下での議会制民主主義ではなくて、「治者と被治者の自同性という意味での民主主義原理を貫徹することである。」
すでに「討議を通じた真の公益への到達」は不可能なのだから、民主主義原理を貫徹するには、選挙で選ばれた代議士による討議を行うのではなくて、公開の場における大衆の喝采を通じた治者と被治者の自同性を目指すべきである、というのである。ここには、大衆には政策の選択は不可能で、できるのは喝采だけであるというシュミットの認識が隠されている。
ファシズムと共産主義
シュミットは治者と被治者の自同性を実現しうる体制としてファシズムと共産主義を挙げている。その体制の前提となる被治者の自同性として、前者は「民族」後者は「階級」が基準とされる。
一方、議会政民主主義は、格差を伴わない国民全体の福祉の向上は困難で、国家の政策は常に勝者と敗者を生むが、この程度が過ぎれば多数派の交代が起こり勝者と敗者も交代する、と考える。ファシズムと共産主義の自同性、国民の均質性は国民国家の当然の特質ではなく、国内における利害の対立、勝者と敗者の存在を否定しようとする特殊なイデオロギーの産物となる。

5 原爆の投下と核の均衡
原爆投下の正当化論理
広島と長崎に対する原爆の投下を正当化する通常の論理は、単純な功利主義である。つまり、全体として見れば、より少ない犠牲で日本の無条件降伏での戦争が終結する、という論理である。政治哲学者のマイケル・ウォルツァーは、この正当化論理に対して、「究極の緊急事態」という考えを原理として批判している。
「究極の緊急事態」
戦時国際法の根本原則に反する行為(例えば戦闘員と非戦闘員の区別なく一般都市を爆撃する)が正当化される「究極の緊急事態(supreme emergency)」がある。そのような場合は「強大な敵のために、政府の枠組みにとどまらず、自分たちの生き方自体が破壊されようとしているとき、通常の道徳律を踏み越えても、それを守る手段を講じなければならない場合」である。
バビッドの批判
フィリップ・バビットはウォルツァーの考えは憲法原理の対立という戦争の様相を正面から捉えていないと批判する。日本をファシズム陣営から議会制民主主義陣営へと組み込まないかぎり、日米対立はいつか再燃する。そのときにはより深刻な事態(日本の核武装で日米ソ三極対立など)をもたらす可能性があるから、アメリカとしては自国の憲法は維持して、対立する憲法原理を有する諸国を占領してでも相手国の憲法を変える必要があった、という[11]。
冷戦の終結
冷戦は、市場原理に基づく資本主義陣営と計画経済に基づく共産主義陣営の対立というように見えるかも知れないが、本質はそのような資源配分法の対立ではなくて体制の正統性をめぐる対立であった。だから、殲滅の可能性を含めた軍事的対立となった。
両陣営は、核兵器による大量報復の可能性を確保しながら長期的には相手陣営が内部矛盾によって崩壊することを期待する戦略を採ったが、ソ連の方が冷戦状態を維持する能力と気力を失い、その憲法を変更することに同意した(1990年11月)。

6 立憲主義と冷戦後の世界
リベラルな議会制の特徴
シュミットは、議会政民主主義における立法過程の偽善性を攻撃する。しかし、リベラルな議会制の特徴は、公開の審議と決定のプロセスが一般公益に対する譲歩を個別の特殊利益に対して迫る点にこそある。「観衆の存在を意識せざるを得ないこうしたプロセスが多様な利害を整序し、長期的に見れば、社会一般の利益にかなう立法をより多く実現することにつながる。」
ファシズムと共産主義は公私の区分を否定する点で共通する。思想、利害、世界観の多元性の否定は、それらと表裏をなす国民(人民)の同質性・均等性の実現を前提としているから、多元的価値の共存に意を用いる必要がない。したがって公私の区分も不用となる。
冷戦終結の意味とは
冷戦の終結は、リベラルな議会政民主主義(立憲主義)が、共産主義陣営に勝利したことを意味する。しかしそれは世界がより安全になったことを直ちには意味しない。
現実には、リベラルな議会政民主主義に基づかない国家(イラン、ミャンマー、中国など)は世界各地に存在する。国家として体をなしていない破綻国家も珍しくない。冷戦の終結後の世界においては、核兵器による大規模な相互報復可能性の下で全国民が動員される状況はなくなりなった。しかし、新たな世界状況は新たな危険を生み出している。大量破壊兵器、情報通信技術の進歩、高度に訓練された大量の兵士が不用になった(戦争が低コストとなる)テロの攻撃の脅威、地球規模での環境破壊、等々。
バビットは、国民総動員の必要性から解放された冷戦後の国家は、全ての国民の福祉の平等な向上を目指す福祉国家であることを止め、国民に可能な限り多くの機会と選択肢を保障しようとする市場国家(market state)へと変貌すると予測している。そうした国家は、社会活動の規制からも、福祉政策の立場からも撤退をはじめ、個人の広範な機会と選択肢の保障と引き換えに、結果に対する責任をも個人に引き渡すことになる。

7 日本の現況と課題
東アジアの対立構造
ヘンリー・キッシンジャーによれば、ナショナリスティックな情念が渦巻く現在の東アジアは、21世紀初頭の欧米諸国よりははるかに19世紀のヨーロッパに似ている、ということになる。ここで近い将来に正規軍同士の大規模な会戦が発生する可能性が大きいとはいえないかもしれないが、体制の正統性を賭けた冷戦がなお終結していないこの地域では、憲法の相違に基づいた武力行使の可能性は消滅していない。
日本が安全保障条約を締結するアメリカは、もともと他国の憲法が自国の利害と合致しないと考えるならば、武力に行使あるいは脅威を通じて、憲法の変更を迫ることにさしたる躊躇を感じない国家である。9・11以降のアメリカは、独裁体制を打倒し、自由を他国へ押し広げることが、自国における自由の保持に直結するとし、盟友を守るためであれば、武力行使を厭わないと宣言している。
憲法典の変更を言う前に
仮に日本が憲法典を変更しようとするなら、その前に三つの前提作業が必要である。この前提作業について国民の合意を練り上げること自体、憲法典の改正よりはるかに重要である。
前提作業の1番目は、「憲法とは何か」を理解することである。憲法とは国の基本秩序を規定するものであって、ここの部分を理解していないかぎり、他国との平和共存はできないし、同一の憲法原理を採る国同士の間のみでしか長期的に安定した関係はあり得ないから[12]。
前提作業の2番目は、(当然前提作業の1番目を前提とするものであり)冷戦後の世界において日本がいかなる目標を持ち、どのような憲法原理に立つ国家となろうとしているのか、を決定することである。国家の活動範囲は、これを根拠として画定される。近代国家における国家戦略と憲法との密接な関係は重要な論点であるが、軍事的意味での安全確保の必要性は国家権力の正当化根拠の一つに留まる[13]。
三つ目は、日本は「外交・防衛の面で何をし、何をすべきでないか」を改めて確認すること、である。「冷戦下において共産主義の脅威に対処するためにアメリカの核の保護を受けたことは、立憲主義に基づく議会制民主主義国であり続けようとする以上は、合理的な選択であったと言える。しかし、それ以上に、他国の体制の変更を求めて武力を行使することを厭わない特殊な国家[14]との深い絆を求めるべきか否かについては、より慎重な考慮が必要であろう。」

第三章 立憲主義と民主主義
本書では、リベラル・デモクラシーを、立憲主義を基底とする民主主義体制という意味に用いている。そこで立憲主義および民主主義という言葉の使い方について改めて整理する

1 立憲主義とは何か
二つの立憲主義
立憲主義という言葉には、広義と狭義の二通りの意味がある。本書で用いている立憲主義という言葉は、狭義の意味用いられている。
広義の立憲主義の意味は「政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みを一般的に指す。」古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったと言われるような使い方がなされる。
狭義の立憲主義は近代立憲主義とも言われ、その意味は「近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。」私的・社会的領域と公的・政治的領域の区分をして、個人の自由と公共的な政治の審議と決定とを両立させようとする考え方と密接に結びつくものである。公と私の領域の区分は、古代や中世のヨーロッパでは知られていなかったものである[15]。
近代以前と近代以降
近代以前には、人としての正しい生き方はただ一つ、教会の教えるそれであった。だから近代以前の立憲主義は、価値観・世界観の多元性を前提しておらず、公私の区分も必要とされない。
近代国家は、政治権力を主権者に集中するとともに、その対極に平等な個人の析出することで誕生した。主権者は法の定立(と施行)についての排他的な権限をもつから、社会内部の伝統的慣習法に依存する中世立憲主義はもはや国家権力を制約する役割は果たし得ない。近代立憲主義は国家権力を外部から制約する役割を担うものであることがわかる。
立憲的意味の憲法
近代立憲主義に基づく憲法を「立憲的意味の憲法」ということがある。立憲的意味の憲法とは次の三つの条件を備えた憲法を指す。政府を組織してその権限を定める。個人の権利を宣言する。国家権力を分立する。
立憲的意味の憲法は必ずしも成文化されていないが(イギリスのように)、近代立憲主義に基づく国家の多くで成文化され、さらに通常の立法過程で変更できない憲法となっており(硬性憲法)、硬性憲法をもつ国の多くでは、違憲審査制が採用されている(憲法典の最高法規性の確保)。
立憲主義を理解するためには、硬性の憲法典違憲審査制度などの制度的徴表のみに囚われず「多様な価値観の公平な共存」という本質に着目することが重要である。なぜなら、立憲主義と敵対した思想家、たとえばカール・シュミットやカール・マルクス、との対立点はそこにあるからである。
九条解釈と立憲主義
憲法第九条の文言にもかかわらず自衛のための実力の保持を認めるのは、立憲主義を揺るがす危険があるという議論は、立憲主義に基づいて考えれば、手段に過ぎない憲法典の文言を自己目的化する議論であり、特定の価値観(この場合には特定の「善き生き方」)を全国民に押しつけるものである。なぜならば、自衛のための実力を保持することなく国民の生命や財産を守ることができないことはあきらかであるのに、自衛のための実力を保持することを憲法が禁じていると解釈するのは、特定の価値観を強制していると考えざるを得ないからである。
別の言い方をすると、憲法第九条が「原理」ではなく、「準則」であるという解釈は、立憲主義とは相容れない解釈である(憲法第二十一条のケースでも同じようなことを考えることができる)。

2 民主主義とは何か
「多数者の支配」への嫌悪
デモクラシーという言葉は、ギリシャ語の「多数者の支配」という言葉に由来している。多数者は貧困で知識や教養に乏しい大衆を意味し、彼らによる支配は否定的に評価されるのが通例であった。以来19世紀の末に至るまでのヨーロッパではこの評価は基本的に変わらない。20世紀初頭に大衆の政治参加が促進されたのは、近代戦が国民動員を必要としたからであった(前述)。
議会制とシュミットの批判
議会制のあり方についての理念型[16]は、フランス七月王政期に活躍したフランソワ・ギゾーによって描かれている。カール・シュミットは、リベラルな議会制は過去のものと批判した(内容は既に述べてあるから省略)
ケルゼンの議会制擁護
シュミットと同時代のハンス・ケルゼンは、次のような理由によって議会主義を擁護した。真の客観的な公益の存在に対する信念が失われた現代では、多様な利害の調整こそが政治のなし得る最大限であって、議会制はそれを実際に遂行するべきである、と。
ハーバーマスと討議の空間
現代において、なお客観的な公益の実現を目指して真剣な討議を行うことは可能だとする議論もある。ハーバーマスは、確かに議会内部の政治家は、政党に属し、互いに硬直的な議論をするだけだが、実は政敵の肩越しに国民一般に向けて語りかけているので、そのことは公論を喚起し、長期的には国政へと反映される、と考えた。
ハーバーマスのいう公共圏ないし公共空間は、せめぎ合う価値観も言葉を介した行儀のよい討議を通して、そこからおのずと公共性が立ち上がるハッピィな空間である。しかし、筆者は討議が公共の利益について適切な解決を示すには、論題の幅自体が限定されることが必要であるとの立場を取っている。従って、そのような場も限られるが、それ以外の社会生活上の表現活動では公共の利益という内容に制限されない自由が確保される、と考えている。
マディソンと大きな共和制
デモクラシーはアメリカ合衆国で順調な発展を遂げたが、アメリカ建国の父たちがもともとデモクラシーに対して好意的だったというわけではない。ジェイムズ・マディソンは、人民による政治が「派閥の横暴(violence of faction)」という危険にさらされていることを指摘し、これを取り除くのは人間の本性からして望み薄だから、この弊害を抑制するために規模の大きな「共和国」(代表制国家)つくることだとのべている(規模が大きいほど共通利害の調整を迫られるから、より広範な利益が自然と実現されると)。
デモクラシーと異なり、共和国ないし共和制(republic)という概念は、古代ローマ以来プラスのシンボルであった。マディソンが民主政ではなく共和制の観念に訴えたのはそのためだったが、後の世代から見れば彼が設立したのは大規模な民主政治であった。同時代のロベスピエールは、民主的であることはすなわち、共和的であることだとする。デモクラシーは、「公共の事柄」を意味するラテン語由来の共和制と同じ意味を担わされるようになる。
アメリカの民主主義
トクヴィルは1932年にアメリカを訪問した後、彼の国において民主政を成功に導いている要因の分析を行い、君主制下での自由を保障してきた諸条件が崩壊したヨーロッパ諸国は、アメリカ同様の民主制の下で自由を保持し続けるか、あるいは独裁の圧政の下で暮らすかのいずれかに向かうしかないと予想した。この予想は、将来の世界はアメリカとロシアによって二分されるという彼の予測と響き合う。
アメリカで発展したデモクラシーは、第二次世界大戦を通じて、誰もが疑うことのないプラス・シンボルへと変貌した。ファシズムと闘うために各国人民の忠誠心を調達する上で、デモクラシーは、他のシンボル(例えば議会制や代表制)より有効であった。だがファシズムも、シュミットの理解では、治者と被治者の自同性を目指す点ではデモクラシーであり、その点は共産主義もデモクラシーである。
それにもかかわらず、第二次世界大戦は、デモクラシーかその敵かを旗印として戦われた。ファシズム敗北後に現出した冷戦下の両陣営は、いずれも自らの体制こそが真のデモクラシーであることを標榜した。そして冷戦が終わった今、リベラル・デモクラシーだけがデモクラシーの名に値する。異なる価値観の公正な共存を許さず、支配層が人民に政治責任を全く負うとことのない体制をデモクラシーと呼ぶことは、もはや許されない。

3 民主主義になぜ憲法が必要か
プレコミットメントとは
民主主義では主権者は人民だから、憲法によって政治権力を制限する必要性はないのではないか、という考えに対する反論として、プレコミットメント(precommitment)という考え方がある[17]。それは、人や組織は常に理性的に行動するとは限らないから、制約された権力の方が長期的に見れば無制約な権力よりも強力である、という考え方である。権力の分立などもその事例である。

第四章 新しい権力分立?
1 ブルース・アッカーマン教授の来訪
2005年10月7日にイエール大学のブルース・アッカーマン教授が東大で「新しい権力分立」というセミナーが開催された。
1-1 モンテスキューの古典的な権力分立論
権力分立の眼目
18世紀前半のイギリスの政治体制をモデルにした、モンテスキューの権力分立論の骨子は以下のようなものである。国家権力を立法・司法・行政の三つに分類する。第一に、立法権と行政権を同一の人物ないし団体が持たない。第二に、司法権と立法権、司法権と行政権は分離される。第三に、三つの権力が同一の人間ないし団体が独占しない。
モンテスキューの主張は、三つの権力をそれぞれ異なる機関に「独占」させるという主張とは異なる。司法権については、独立機関を置くべきではないとしている。立法権に関しては、行政権の長が立法拒否権をもって立法に参与すべきとしている。
「要するに立法・司法・行政のうち、二つ以上の権力がすべて同一人ないし同一団体のものとなってはいけないというのが、権力分立論の眼目である。」しかし、モンテスキューは権力分立論だけではなく、最高の権力である立法権には社会の中の様々な勢力が関与すべきことも提唱している。「いいかえれば、制定された法律は、すべての社会勢力の利益に適い、その自由を保全する立法であるはずである。」
影響力
当時の政治思潮、レッセ・フェール(自由放任主義)からすれば、モンテスキューの権力分立論が人々の心を引きつけたのは理解できる。フランス革命においてもイギリスの政治体制が参考にされ、アメリカ合衆国憲法にも大きな影響を与えた(現代の二院制や立法拒否権を持つ大統領制)。しかし、時代は変わり、イギリスの統治構造も変貌を遂げ(政党政治と議院内閣制)、社会生活への政府の介入程度の拡大、一般市民の政治参加の拡大、政党の役割の増大など。近代国家においては、モンテスキューの原理は再考を要するだろう。

1-2 「新しい権力分立」
アッカーマン教授の提唱する「新しい権力分立」論の概要は以下のようなものである。
三つの政治体制
冷戦が終結して唯一の超大国となったアメリカは、自国の憲法制度をも他国へ輸出しようと試みている。しかし、ヨーロッパやアジアで新たにリベラル・デモクラシーを打ち立てようとする諸国民は、アメリカの政治制度以外の選択肢があることに留意すべきである。
リベラル・デモクラシーの政治体制は、権力分立のあり方によって、大きく三つに分類することができる。第一は、行政府の長と議会とを別々に有権者が選挙する大統領制である(アメリカが典型)。第二と第三は、いずれも議院内閣制(有権者が議会の議員を選挙し、議会が行政府の長を選任する)だが、第二の方はイギリス型で、議会や行政府の権限に対する制約が、明示的に存在しないのに対し、第三の方は、議会や行政府の権限が憲法上制約されている「制約された議院内閣制」で、ドイツや日本はこの型である。
何が望ましいのか
最悪なのは第一のアメリカ型(大統領制)である。選挙の結果によって、政策遂行不全と全権掌握という両極端に振れるからである。特に新興のリベラル・デモクラシー諸国にとっては推奨できない(ラテン・アメリカ諸国に多くの不都合な例がある)
第二のイギリス型は、新興の民主国家にとっては「選挙された独裁」に直面することになるから適切ではない[18]。イギリスにおいても、ブレア政権において首相官邸に国政上の権限を集中させることへの懸念がしばしば表明されている。
新興のリベラル・デモクラシー諸国にとっては、日本でおなじみの、第三の「制約された議院内閣制」が望ましい(理由は4で再び考察される)。
三権以外の機関の独立
なぜ権力分立が必要なのか、その原理から考えれば、司法・行政・立法以外の機関の独立を確保する十分な理由があることもわかる。例えば、選挙管理委員会の独立性の保障(モンテスキューの念頭にはなかった権力の正統性の保障、としての公正な選挙)、官僚機構の独立性と自立性、中央銀行の独立性など。
アッカーマン教授は、モンテスキューやマディソンの政治理論や憲法理論は当時の知見に基づくものだから、われわれは、現代の政治学の知見に基づいて憲法理論を再構成する必要がある、と主張しているのである。

2 首相公選論について
近年、日本で高まった「首相公選制」の問題点を明らかにする。
議院内閣制との相性
首相公選制は首相のリーダーシップを強化するには役立たず、却って政党が果たす役割を分断して政策遂行機能を不全に陥らせる可能性が高い(事例としては、1992年に導入して2001年に3月に廃止したイスラエル)。
小選挙区制との相性
小選挙区制と首相公選制の組み合わせは、各選挙区で結びついている政策論争と首相の選択とを分断し、公選制で選ばれた首相は地元利益の実現に血道を上げる纏まりのない議会と対峙する羽目となり、政策遂行機能は不全に陥りかねない。
純粋の大統領制は
現実にこの制度を長期に採用している国はアメリカだけである。既にアッカーマン教授が示唆しているように、日本では、立法権と行政権が厳密に分立したままで、国政をスムーズに運用することは至難である。制度だけ移しても、制度自体の欠陥を補う政治文化や伝統、慣習[19]も同時に移行することは難しい。
半大統領制は
フランスがそうである。このケースでは、大統領が議会少数派に属する場合には、大統領は実質的な政務からほとんど排除されてしまう。

3 日本はどこまで「制約された議院内閣制」といえるか
「最悪の体制」
大統領制が最悪で、制約された議院内閣制が一番良いなら、なぜアッカーマン教授はアメリカ合衆国の政治体制をそちらに変えるように提案しないのだろうか。この筆者の質問に対する教授の答えは、「一国の憲法の根本理念を変更することは極めて困難である」というものであった。
日本の議院内閣制
(形式は整っているが内容は?)ここでは、そのことはあとで触れることとし、アッカーマン教授が指摘した「日本における裁判所の制約が弱々しいものである」と紹介されているだけである。
官僚機構の「中立性」
戦後の日本でほとんど常に政権党の座にある自由民主党は、整合した体系的政策の遂行を目指した政治家の集まりではなかったし、むしろ、党総裁=首相の座を狙う複数の領袖が率いる派閥の連合体であり続けてきた。従って、官僚組織も自身の利益を擁護するために政府と違う政策をとる政治家や団体を操縦する余地を持つことになる。だから、イギリスと同等なほど政治的中立の立場をとることにはならない。
行政・司法への制約について
著者は二点について述べている。一点は、最高裁裁判官の人事権が内閣にあることは、見た目ほど行政の権限を強くしてはおらず、内閣の裁量は限られていること。もう一つは、制度的要因としての内閣法制局の存在である。
内閣法制局という存在
法案は内閣が提出することが多く、その法案は内閣法制局において、相応しい能力を持ったスタッフによって綿密に審査される。
以上の二つの仕組みだけではなく、日本における政治部門の「制約」が他国に比べて弱いか否か判断するには、立法・司法・行政の三権だけではなく、他の機関の独立性や権限を含めて考察することが必要である。

4 二元的民主政―――「新権力分立論」の背景
一次元的民主政と二次元的民主政
アッカーマン教授がリベラル・デモクラシーとして、どのような体制をイメージしているかを述べる。それは日本の憲法のあり方を論じるときに参考になると思われるからである。
アッカーマン教授が理想とするリベラル・デモクラシーは、アメリカが実践してきたもので、かれは二次元的民主政と呼んでいる。これはその典型例がイギリスに見られる一次元的民主政と対比される概念である。
イギリスには憲法典がなく、理論上は、イギリス議会は万能である。これにたいしてアメリカの方は硬性の憲法典がある。しかし、アッカーマン氏が二次元的と呼ぶのは、法律と憲法の制定手続きが異なっている以上のことを意味している。アメリカの憲法の規定の中には、必ずしも一国の根本原理を定めているとは言いがたいものも少なくない。また、一国の根本原理が必ず憲法典に規定されているとも限らない。

国の根本原理と憲法
一国の根本原理が必ず憲法典に規定されているとも限らない。そして憲法の変更には慎重さが要求される。政治の世界は、日常的には、さまざまな私的利害の競合と調整の場であり、社会の根本的なあり方を議論する場にはなりにくいからである[20]。
憲法政治と通常政治
政治の世界は、私的利害の競合と調整の場であるとしても、歴史上、社会の根本的なあり方の変更を求める運動が湧き起こることがある。アッカーマン教授によれば、アメリカにおいて過去3回起こりそれ以外はない。最初は独立戦争から合衆国憲法の制定に至る建国期、第二は南北戦争から戦後の復興期、第三がニューデール期である。アッカーマン教授は、国の根本的な原理を変革する政治過程を「憲法政治」、日常的な利害調整に関わる政治過程を「通常政治」と呼んで区別する。彼の言う二元的政治とはこの二つの過程が区別される政治体制を指す(イギリスの場合はこの二つの過程に区別がないことになる)。
「憲法を持つ国家について言えば、憲法の改正がすべて憲法政治に属するわけではない。また、憲法の改正によらない憲法政治も存在しうる。」[21]
アッカーマン教授の、新興のデモクラシーにとっては「制約された議院内閣制」が適しているというのは、この二次元的民主政を的確に運営するためにはその方が容易であるから、という意味である。

第五章 憲法典の変化と憲法の変化
1 「憲法改正は必要か」という質問
質問の不思議
(省略)

2 国民の意識と憲法改正
憲法典改正なしの根本変更
成熟した国家の憲法運用にとっては、憲法改正は大きな意味を持たないという議論がある(シカゴ大学のデヴィッド・ストラウス教授)。ストラウス教授は、この論拠として、ニューデール期の連邦政府の権限拡大が、アメリカの国家体制のあり方に根本的と言える変更を加えたにもかかわらず、それが憲法典を改正することなく行われた事実等を挙げている。
憲法改正が大きな意義を持った例として、人種差別の是正を目的として南北戦争後に行われた第十三修正から十五修正までの三箇条が挙げられることが多いが、これらの改正が実際上の効果を上げたのはほぼ100年後の各種の公民権法の制定およびそれを支える公民権運動の賜であった。(以下の事例省略)
フランスの事例
(省略)

3 実務慣行としての憲法
前節で、憲法の内容は、憲法自体が変わらずとも国民の意識が変われば変わりうる、あるいは憲法自体が変わったとしても国民の意識が変わらなければ憲法の内容は変わらないこともある、ことを示した。しかし、国民と意識と憲法との関係は直接的で単純なものではない。(もう少し詳しく考察してみよう)
法と道徳
オックスフォード大学の法哲学教授であったH・L・A・ハートが提唱した、規範の「慣行的理解( practice conception)」という考えがある。法と道徳は峻別され、道徳的正しさと法的に要求されることは同一ではなく、法は意図的に変更されうるが道徳はそうではなく、議会が法律を定めれば人々の権利義務関係はただちに変更されるが、道徳は、社会生活の人々の慣行(practice)として徐々に生成し、発展し、衰退するもので、「道徳の準則、原理および基準が、法と同じように意図的に創設されたり変更されたりしうると言う見方は、人々の実生活における道徳の役割と両立しない」。
一次レベルから二次レベルへ
社会生活における権利や義務を定める規範は、はじめは慣行として成立する(一次レベルの規範)。やがて一次レベルの規範が変化して曖昧になってくれば、変化のメカニズムを知り、その変化の過程においてその都度の一次レベルの規範が何であるのかを認定して判定する基準となる規範が必要になる(ハート教授の言葉で「認定のルール(rules of recognition)」。「認定のルール」を核とする規範が二次レベルの規範となる。たとえばイギリスでは「議会の制定した法こそが最高の効力を持つ規範であり、それに反する規範は効力がない」とか、アメリカや日本のように、違憲審査制度を持つ国ではその制度が認定のルールの例である。このように二段階の規範によって構成される法秩序は、近代国家と友に新たに成立したものである。
二次レベルのルールと専門家集団
二次レベルのルールは慣行として生成、定着、衰退するものであり、部分的に成文化されることもあるが、成文化されたテクストは慣行の反映に過ぎない。しかも、この慣行は社会の全構成員の行動を通じて生み出されたり、衰退したりするものではない。二次レベルのルールが生成する社会では、専門的能力を備えた集団(裁判官、弁護士、検事、法律学者など)の生成を必要とし、国民一般は自分たちが従うべき社会生活のルールが何であるのか、専門家に聞かなければ分からない[22]。憲法は典型的な二次レベルのルールである。
三次レベルのルールへ
(一次から二次への移行と同じ理由で)二次の慣行的規範を備えたる社会は三次の規範を生成させるはずであるが、この移行は実際の担い手が同一なのだから結局「二次の慣行的規範へと崩落し、吸収されることになる。手短にいえば、たとえ、憲法典のテクストを変えたとしても、その結果、肝心な認定のルールたる「憲法」がどのような変化を被るかを直接に判定するのは、限られた専門家集団だということになる。」

4 憲法とそれ以外の法
法の回復への欲求か
慣行のみから成り立つ一次レベルの規範の社会においては、そもそも憲法は必要とされない。憲法を典型とする二次レベルのルールの社会では、人々は社会生活のルールが日常の生活感覚から乖離し、経験や直感によってはそれを知ることができなくなったことを悟る。「憲法を成文化し、それ自体を意図的に制定・改廃の対象としようとする動きは、失われた法を再び自分たちの手に取り戻したいという人々の欲求の表れとみることができる。」
憲法と憲法典
だが、憲法典は二次レベルのルールとしての憲法とは違う。「二次ルールとしての「法」の生成、そして「憲法」の生成は、明の部分と暗の部分を伴う。現代社会はその両面とつき合わざる家を得ない。ハート教授の法哲学が教えるのは、「憲法改正」の意義に関する、以上のような意気を喪失させる物語である。」

第六章 憲法改正の手続き
「ここでは、憲法の中身を変えるための憲法典の改正を行うために踏むべき手続きについて考えてみたい。」
(以下簡略に)

1 改憲の発議要件を緩和することの意味
憲法改正には単純な多数決ではなく、特別多数決が採られているには理由がある。第一に、「少数者の権利の保障のように、人々が偏見に囚われるために単純多数決では誤った結論を下しがちな問題については、より決定の要件を加重することに意味がある。」
第二に、憲法に定められた社会の基本原理を変更しようとするのであれば、<中略>日常の政治過程によっては、安易に動かすべきでないはずの重要な原理を動かそうとするのであれば、保守的な態度を取る方が賢明と」いえるからである。

2 憲法改正国民投票法について
あるべき国民投票制度
ここでは三点の提案をしたい。「第一に、国会による改正の発議から国民投票まで、少なくとも二年以上の期間を置くこと。第二に、国民投票に至るまでの期間、改正に賛成する意見と反対する意見とに、平等でしかも広く開かれた発言と討議の機会を与えること。第三に、投票は、複数の論点にわたる改正について一括して行うのではなく、個別の論点ごとに行うことである。」
熟議期間の設定
各国の歴史にその例がある。例えば離婚についても同じような制度が見られるのは、一時の情に浮かされて失敗しないためである。
公正な討議の機会
職選挙法の延長線上で国民投票を考えることには大きな問題点がある。例えば公報のあり方。
「日々の政治問題を党派の競合と妥協のプロセスの中で解決しようとする通常の政治過程と、世代を超え、党派の違いを超えて日本社会の根幹に関わるルールを定める憲法改正手続きとの違いを認識した上で、この問題を考える必要がある。」
個別の論点ごとの投票
(省略)

終章 国境はなぜあるのか
二つの問題が論じられている。一つは、国家はなぜ複数存在するのかという問題、もう一つはある国家の権力はどのような範囲まで及ぶべきかという問題である(この問題は、当然に国境はいかに引かれるべきかという問題と密接に関連する)
結論の一つは、「国境をいかに引くべきかについて、あらゆる場合に妥当する原理的な正解は存在しない」ということである。この思想は、ジョゼフ・ラズの提唱した、権威に関する通常正当化テーゼ(normal justification thesis)に従っている、とのこと。

(ホッブズ、ロック、ヒューム、カント、ルソー、ベーコン等から、本書で既に紹介されている諸政治思想家たちの諸説が紹介されているが、省略する)

おわり

2016年8月30日火曜日

『社会学入門-----人間と社会の未来』(見田宗介、岩波新書,2006年)

ハニーブーケ
感想文と要旨は共に200710月に作成したものを少し補正したものである。

【感想文】
本書は、『現代社会の理論』(見田宗介著、岩波新書1996年)の続編と位置づけられ、前著で予告されていた現代社会の「内部問題」が語られており、吉本隆明の言う「関係の絶対性」の克服を認識した上で「交響体・の・連合体」という社会構想が提示されている。「新しい一千年記が、静かな歓びに充ちた幾世紀であるために」という著者の意図に相応しい社会学理論だと思う。その骨子は以下のようなものである。
社会学は、「自明性の罠」から開放されて「想像力の翼」を獲得することを身上とする「越境する知」であり、世界の文化の古層に存在する「潜在態と顕在態」という世界の感じ方を理解する必要がある。
近代社会には「個性化の競合の帰結する没個性化」という逆説的な現象が出現している。現代社会には「情報化/消費化社会」という新たな構造が重層化されたが、限界問題としての「外部問題」(人口、資源、環境など)に加えて、「愛の変容/自我の変容」という感覚変容現象に由来する「内部問題」が立ち現れている。現代世界の困難な課題2001年の同時多発テロに象徴される)は、「関係の絶対性」を強いる構造を解体し転向する思想が確立されぬ限り「自由な社会」の生き続ける道はないことを露にした。
名づけられない革命が進行している。それは、生産の自己目的化を転回して「享受することの幸福」の本原性を復位する「消費化革命」と、マス・メディアの一方向性を転回して「交信」のテクノロジーを用意する「情報化革命」により見はるかされる。
初めに〈魂の自由〉を相互に解き放つような社会の形式を、どのように構想することができるかという問いが立てられる。すると他者の原的な両義性(他者は歓びと災いの源泉)に対応する二正面闘争が立ち現れる。しかし、個人の同質性ではなく異質性をこそ積極的に享受する〈交響体・の・連合体〉という社会の構想は、、その問いに向かって思考プロセスを起動・展開し、それ自身基軸のダイナミズムとしてありつづける。


【要旨】
序 越境する知----社会学の門
1 人間の学/関係の学
そもそも「社会」とは何を指すのであり、それは存在するのかと問えば、それは存在する。人間の関係として、存在する。更に、人間自体が関係である。否、物質でさえ言語化される限り関係のシステムである。社会学は関係としての人間の学である。
2 社会学のテーマとモチーフ
近代の社会科学は、人間像をモデル化した理論を打ち立てることで(例えば経済学の「ホモ・エコノミクス」)、社会現象のある側面の解明に成功した。
しかし、社会の現象を解明するには、ある側面の解明だけではなく横断的に統合することが必要である。社会学は、社会現象のさまざまな側面を、横断的に踏破し統合する学問である(越境する知)。
越境する知は目的ではなく、「自分にとって本当に大切な問題に、どこまでも誠実である、という態度」の結果である。やむにやまれず境界を突破ずるのである。越境する鮮烈な問題意識の内にだけ、社会学という遊牧する学問のアイデンティティは存在している。
著者の社会学に対するモチーフは次のようなものである。切実な二つ問題、つまりA:「死とニヒリズム」=どういう生き方をしたらよいのか、B:「愛のエゴイズム」=本当に楽しく、充実した生をおくるには、どうしたらいいか、を、経験科学的な方法で追求(解明)してゆくこと。
切実な問題に対する解答。Aは『気流の鳴る音(1977)』と『時間の比較社会学(1981)』、Bは『自我の起源---愛とエゴイズムの動物社会学(1993)』
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[コラム]「社会」のコンセプトと基本のタイプ
Ⅰ 社会の概念
それ自体の要素である個人の行為に分解すると無くなるような、それ自身固有に生成している集合的諸現象。
Ⅱ 社会の存立
個々の人間の行為の関係が社会を存立させる仕方は、二つの異なる次元軸の組み合わせにより四つの型に区分する、という理論により分類して考えることが出来る。次元軸の一つは個人の自由意志の有無であり、もう一つの軸は人格的関係態の有無である。前者は、自由意志有り=主体的=対自的、自由意志無し=客観的=即時的、という内容を持つ。後者は、人格的関係態=共同体的=Gemeinshaft、非人格的な関係態=社会態的(利害関係等々)=Gesellschaft、という内容を持つ。すると、即自的共同態=共同体(例えば氏族社会)、即自的社会態=集列体(例えばスミスの国富論の“見えざる手”)、対自的社会態=連合体(例えば会社)、対自的共同態=交響体(例えるならコミューン的なもの)、という四つの社会類型を考えることが出来る。この区分は、歴史的なものであるより、まず論理的なものであり、排他的ではなく相補的である(著者は、社会の機制は段階的ではなく重層的である捉えることが重要である、と述べている)。
Ⅲ 「社会」という語
西欧での語源は内部の「仲間内」を示すものであったが、ヘーゲルの市民社会論が示しているように集列体が主幹を呈し始めたころに日本に輸入された。その頃日本では、社会という概念に最も近い言葉は「世間」であった。日本における世間の語源は共同体の外部を意味していた(柳田国男等の民俗学)。
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一、鏡の中の現代社会-----旅のノートから
-----例えばインドから帰りにタイのバンコックへ寄ると、もう日本に帰ってきたような気がします。----比較社会学というと日本とヨーロッパ、日本とアメリカ、あるいは-----ですが、ぼくはそれよりも、近代化された社会とそうでない社会との比較にもっと関心があるのです。
1 〈自明性の罠〉からの解放
社会学、特に比較社会学の意味は、〈自明性の罠〉からの解放にある。それは、僕たちが生きていく上で「あたりまえ」だと思い込んでいることを、そうでないものとして見せてくれる。
・インドでの経験の例、時間感覚、旅で途方にくれる経験。
・ふしぎその一、インドやラテンアメリカでは3Kが好きになる。
・ふしぎその二、インドやラテンアメリカでは非能率にもかかわらず長くいた気がする。
・「人間はこんな生き方もアリなんだ」、メキシコでの日本人タンゴダンサーの例。
2 「近代という狂気」
-----彼らにとって時間は基本的に「生きる」ものであり「使う」ものでも「費やす」ものでもない。異国のバザールでの値切り交渉、ペルーでのバスの待ち時間での会話。僕たちでさえ、旅でふしぎに印象に残る時間は、-----要するに何かに有効に「使われた」時間ではなく、ただ「生きられた」時間です。使われた時間は上滑りしていて、生きられてはいない。
異国で聞いた日本ニュース、通勤時間帯の一時間の電車遅れで駅長室の窓ガラスが割られる事態となった上尾駅のニュース、が<遠地の狂気>として語られる異国の旅。
十四世紀の前半以来、ヨーロッパの都市に「公共用時打時計」が設置された。当時の時計の針は一本であった。今は三本もある。
(小生注:近代は、時間は使うもの、費やすものであって、生きるものではなくなってきている、という狂気の時代である)
3      見える次元と見えない次元。想像力の翼の獲得
メキシコのインディオの祭り「死者の日」における、余分の一人の食事の用意が意味するもの。それは、社会学にとっても究極の理想でもある「開かれた共同体」「自由な共同体」ということにかかわることである。
「プロ倫理」で紹介されている「時は金なり」というフランクリンの生活信条は、真っ先に「余分の一人」を削ぎ落とす。
近代化は多くのものを獲得した。それは、計算できるもの、目に見えるもの、言葉によって表現できるものが多い。失ったものは、そうではないものが多い。人間が生きていくうえで一番核心にあるものは、目に見えないもの、数量化できないもの、言葉になりにくいものが多い。(小生注:近代化は人間が生きるうえで一番核心となるものを失ってきたのではないか、と著者は言っている。)
大切なことは、近代の後の新しい社会の形を構想することだが、その方法として異世界を知り、「自明性の檻」の外部に出て、人間の可能性を知ることである(小生注:著者は、そのことを「想像力の翼を獲得すること」と表現している)。
デュルケーム、マルクス、ウエーバー、さらにバタイユ、フロム、リースマン、パーソンズ、マルクーゼ、レヴィ=ストロ-ス、フーコー等も用いた社会学の方法としての「比較」は、著者らの方法、すなわち「他者を知ることを通して自明性の罠から開放され、想像力の翼を獲得する」、という方法と一つのものである。
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[コラム]コモリン岬
省略
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二、<魔のない世界>-----「近代社会」の比較社会学
「近代社会」とはどのような生の世界なのか、は社会学的な大きな主題である。柳田国男の『明治大正史世相篇』の「色彩感覚の変化」を考察した部分を集中的に取り上げて、この主題、「近代社会とはどのような生の世界なのか」を追っていく。
近代以前の人々の感覚を知る手掛かりを一茶の句から----。柳田は、近代以前は、世界のあり方、存在するものに対する感覚が、現代とは全く異なっている世界を前提としているから、この句がわからない、と言う。
1 花と異世界。「世界のあり方」の比較社会学
例えば日本語で、ハナと発音される言葉には、例えば花・華/鼻・岬/初・端がある。これらの原義は同じだが、「/」で括られたところは類似であることについては理解が可能であっても、「/」で隔てられた部分ある関連性は理解が困難。そこを理解するのは、「潜在態」と「顕在態」という世界の感じ方の存在を理解する必要がある。
「潜在態」と「顕在態」は、世界の文化の古層に存在するものである。例えば、アメリカインデアンのホビ族の言葉には、「時間」の概念はなく、そのかわりに過去と現在は「顕在態」として、未来は想像上のものなどと同じく「潜在態」として把握されている。
例えば、日本文化の古層の感覚、「うつし世」と「かくり世」という世界の感じられ方、また比較宗教学では「ヒエロファニー(聖なるものの顕現)」という感じられ方が世界の宗教に共通して見出されるという説があるが、これの「聖なるもの」は「潜在態」であろう。
2      色彩の感覚の近代日本史
制度的な「禁色」(例えば紫色の使用制限)とは別に、柳田は「天然の禁色」の存在を指摘した。それは、人々が色彩について「あまりに鋭敏」であるために生じたもので、鮮明な色彩の「禁色」など民衆の心性に基づいていて、権力による支配ではなかった。
ユーラシア大陸とメキシコインデアンの「紫貝」の採取についての話も、世界に対する感受性の強さ、鮮烈さを示す例。紫貝を採取する時に、前者は貝を潰して採取した紫色を権力の表現に用いる。後者は未婚の若者が、遠隔地まで出かけていって入手する貝から、貝は殺さないで手にこすり付けて取れる分だけ採取した紫色を、意中の女性に贈ることで社会的認知を獲得する。
柳田国男の「朱の解体」現象の観察。それは、色彩が、強い情念や豊穣な想像力を触発する力を消失していく現象である。朱の分散は、ポストと信号と囚人服から始まった。そして、朱は目立つという機能を失っていく。現代人は、個性化の競合の帰結する没個性化に陥っていて、これは近代社会の基本的な逆説の一環である。「おどろき」の相殺、夢の漂白、感動の微分。
3 <魔のない世界>
マックス・ウエーバーの「プロ倫」での用語、Entzauberungは、「魔術からの開放」と訳されてはいるが、ウエーバーは、その訳語からは読み取られにくい意味を当時の社会から読み取っていた。それは、シラーのいう<魔のない世界>としての「近代」の、その「合理主義」の厚みの深いアンビバレンス(両価性)である。
4 ツァウベル(zauber:魔性)のゆくえ
柳田国男の感受する「近代」のアンビバレンスは、ウエーバーの見すえていた「近代」のアンビバレンスと正確に呼応しあって、われわれの獲得したものの巨大と、われわれの喪失したものの巨大の双方を見はるかす空間のほうへ、僕たちの思考を挑発して止まない。

三 夢の時代と虚構の時代-----現代日本の感覚の歴史
現代の日本社会の骨格が作られたのは、1960年代から70年代の前半にいたる「高度経済成長時代」である。その後現代に至る(2006年)までは、それまでに比べて社会の変容の仕方自体が別のものとなった。「高度経済成長時代」は「夢」の時代、戦後からそれまでは「理想」を求めた時代、現代は「虚構」の時代、とも言える。
1 「理想」の時代-----プレ高度成長期
1931年の満州事変を発端とする15年戦争という「神話」の時代の後、アメリカンデモクラシーとソヴィエトコミュニズムがやってきて、その理想に基づく「進歩史観」は「現実」となることを疑わなかったし、一方大衆の「現実」は物質的な豊富化であった。この時代は、理想主義が、唯物論的な確信に裏付けられた現実主義でもまたあったといえる。そして1960年の安保闘争がこの時代の終わりを告げた。
2 「夢」の時代-----高度成長期
この時代の日本社会改造計画は、農業基本法と全国総合開発計画という表裏をなす政策を柱としていた。それは第一に公共投資の工業開発への集中、第二に貧農切捨てによる労働力確保、第三に巨大資本による地域・農業部門の掌握・再編である。
そのような社会構造の変動は、家族の形を変革し、大家族から核家族への変化であり、それは家族の関係、男女の関係、男性・女性の人生、子供の育ち方、性格の形成、人生の「問題」の所在、等々の変革でもあった。
時代の前半は、それを表現する指標としての色彩はピンク色で、ヒットチャートの曲調も特徴付けられる「あたたかい夢」の時代とも言える。この時代を覆った泰平的でナイーヴでシニカルでアイロニカルな「幸福」感には、「食、衣、住」の充足、「戦中から戦後の悲惨」の記憶、「ベービーブーマ」の出現、「古い共同体から核家族」へ、「最底辺の農村階層のボトムアップ」による階層の平準化、「アメリカの消費資本主義」が日本の経済繁栄の形式としての成立、が要因となっていた。幸福資本主義の成立とでもいえよう。
だが、この時代の後半は「熱い夢」の時代と表現できる。それは、前半の時代の理想と現実が生み出した、新しい形の抑圧と非合理からの、換言すれば、アメリカンデモクラシー派の理想主義の現実(戦後民主主義)とソヴィエトコミュニズム派の理想主義の現実(スターリニズムと旧左翼)、そして「現実」主義者の理想の実現がもたらしたもの(近代合理主義、豊かな社会とその管理システム)こそが、この時代の攻撃の標的であった。要するにこの時代の前期の理想に対する反乱であった。この時代の熱気のうちに垣間見られた夢たちは、新しく開放された時空と関係性を創出する試行たちとして散開し続けていた。
3 「虚構」の時代-----ポスト高度成長期
1973年のオイルショックは高度成長の時代の終わりを告げた。既に先進国と認識していた日本では、「終末論」と「やさしさ」という二つの流行語がこの時代の社会構造を時代の感性の基調を表現する言葉としてその後20年ほど(1990年代まで)続く。
1980年代の色調はピンク色から透明感のある白さになっている。社会の中で「実体的」「生活的」「リアルなもの」の最後の拠点である、また、関係の、最も基底の部分自体である、家族、家庭、夫婦、が虚構として感覚され、それは少年、少女達の「やってられないよ」という言い方に表現されている。
1990年代に続発する新しい型の犯罪、浅草→銀座→新宿→渋谷と東京の盛り場の変遷などは、「脱リアリズム」「ナマなもの、自然なものの脱臭」「土や汗やダサイ、キタナイもの」の排除の感受性が受け入れられる。排除される部分無しには成り立たない社会に居て、その排除される部分を見ず、思考せず、語らない無菌遊園地に住む「かわいい」世界の子たちの、あっけらかんとした残酷。「三区(千代田、中央、港)から3A(麻布、赤坂、青山)」へ、国際情報空間のなかへ拠点を移し、薬剤をアタッシュケースに入れて心身症と戦いながら働くビジネスマンたちの風景。それらは、「情報化/消費化社会」の構造とダイナミズムと、矛盾と限界とは別著「現代社会の理論」で展開する。

四 愛の変容/自我の変容-----現代日本の感覚変容
1970年代初頭から90年代初頭までの、新聞の「読者の短歌」欄の作品20年分数千種を読んで、この間の社会変動という観点から感じたものは、90年代初頭にみられた特に若者の対人感覚、自己感覚、世界感覚のめざましい変容であった。(小生注:以下は、その短歌の内容を吟味することで感じ取られた意見である)。
1 「共同体」からの解放
1990-2000年代の日本社会には、異質なものを排除する力学の働きの現象として、若者のリストカット、指紋押捺対象の若者が自らの指紋を潰す行為の例。著者の学生で、日本に受け入れられなかったアメリカの留学生の自殺の例。「異質なもの」を排除した後、「仲間内」だけで仲良く和やかに暮らすことを理想とする「日本的共同体」は稲作農業共同体から由来するものと推定される例。上記の例は共通基盤を持っている。
「みんなの意見」に逆らわず、「時代の流れ」に乗り遅れまいとするのは「日本的共同体」の核にある特質であり、「大東亜戦争」もその歴史的結果のひとつである。が、しかし、そのような感覚に拮抗する力を持った感性が形成されている例。
2 時代の基層の見えない胎動
季節の変化や人との関係、子供に対する大人の感情を歌った短歌が1980年代終わりに出現してくるが、これは千数百年前と同じくするものであり、近代において開いた人と人との関係とその可能性を考えさせられ、時代の基層の見えない胎動を感じさせる。
万葉と同じ愛の実質の現代的表現、ユニセックス的な感触の定着、呼応する愛でも失恋でもない愛のさなかの孤独の歌、愛の形の変容の時期は(現代)、「自分」の形の変容に時期でもあった。
3 リアリティ/アイデンティティ/関係の実質
リアリティとアイデンティティの空虚が感ぜられる歌。「自分」の不確かさ、解放感、空洞感、の感ぜられる歌、「世界」のリアリティ自体が根こそぎ変身している歌(カフカの変身は主人公だけだが)。
出口はあるか?愛でも献身でも親切でも感謝でもない仕方で、自由に結び合っている三人の関係の歌。この関係は、異質の他者を排除して安心する共同体ではなく、異質の他者が結合し呼応し共歓する交響体ともいえる。孤高でも連帯でもなく複数の存在が存在しきっている仕方を歌った歌。それらの歌から、少なくとも現在よりもよりよい社会のあり方を思い描くことが出来る。
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[コラム]愛の散開/自我の散開
1999年に起こったネットアイドルでリストカッターである南条あや、18歳の自殺、2000年にはその攻撃対象の不特定性、動機の「非条理性」において先行世代の理解不可能性な「17歳の犯罪」の継起。それらの例は、散開する多数に向けて発想され、愛の対象を絞り込むことが出来ない、「愛の散開」「自我の散開」現象を認識できる。
1960年代の日本は、都市に流入する家郷喪失者の群れにより高度近代化を一気に成就させた。家郷とは、人間の生の拠り所とする生活共同体と愛情共同体という二つの根拠であり、近代市民社会の古典的形式はこの二重の要請を、極小化された愛情共同体としての核家族と極大化された生活共同体としての市場経済というシステムという形式を以って満たす。貨幣とは、この極大化された生活共同体の分配を基準するものとして、究極の「差別原則」であり、外化された共同体である。
近代核家族という、この「限界共同体」が、近代システム自体に内在するある矛盾(小生注:これはここでは判明でない)の展開としてそれ自体をもう一度解体してゆくとすれば、この社会の親密圏-公共圏は、どういう新しい構図を構成することになるであろうか。南条あやの「公開日記」は、彼女の見出した自我の存在形式ともいうべきものだが、その存在は死に至るまで家族は知らず、即ち家族はこの新しい親密圏の他者である。
「近代家族」は、近代的自我、即ち市場システムの再生産主体装置でもあるが、「近代的自我」は自身を再生産するような力を、その動機において必ずしも保持していない。
貨幣は外化された共同体であり、それは「市場」として散開する共同体の第一の側面に定位している。貨幣システムは微分され、また積分される共同性であり、限定され、また普遍化された交換のメディアである。このことを通して、貨幣は近代的市民社会の「諸主体の主体」として立ち現れる物象化された共同体である。
「愛情共同体」もまた、現代社会において散開するとすれば、そこにおいて「諸主体の主体」として立ち現れるものは情報のテクノロジーである。電子メディアのネットワークは、外化された共同体である。
共同体の解体はまた、明るいものである。1000年前の西欧における「都市の空気は自主にする」という言葉は、人間は共同体を解体して近代を構築し続けてきたことを表現している。1960年代に第一次共同体を解体した日本社会は、80年代には「遊園地が僕らのふるさと」という明るい完成の世代をも生んだが、カラオケルームノテクノロジー空間で南条あやが死んだ19993月に、人間は何を卒業しようとしていたのだろうか。
(小生注:人間には生の拠り所として生活と愛情の充足という基盤が必要である。過去1000年にわたる人間社会の歴史は、その基盤を担うと同時に個人の自由を束縛するという共同体の矛盾を克服するプロセスであるという面を持っていた。現代にいたり人間は、生活と愛情と自由の充足を、自由市場と核家族という巧みな方法に凝縮することで解決するかのように見えた。しかし、その方法がもたらした社会システムは、情報技術革命と相まって、新たに自我と愛の散開という現象を発現し、従来の共同体にとって不都合で理解不能な、非条理な事件を発生させ始めた。)
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五 二千年の黙示録-----現代世界の困難と課題
21世紀に入ってもなお、同時多発テロ。アフガニスタン、イラクと戦争が続いている事実は、人間が解決できないでいる根源的な課題を明示している。2000年ほど昔、ヤスパースが言う「軸の時代」に巨大な思想、宗教、哲学が出現した。以来、人間たちはそれらを拠り所として文明を築いてきたが、解決し残した一つの問題があった。それは「関係の絶対性」という問題である。
1 黙示録の反転。「関係の絶対性」の交錯
著者は、D.H.ロレンスの『アポカリプス』(新約聖書のヨハネの黙示録)と吉本隆明の『マチウ書』(新約聖書のマタイ伝)を引き合いに、「関係の絶対性」という事実が、二千年前も、現在も、もっとも困難な現実問題の基底にあり続けているということを、認識の出発点とするほかはない、と述べている。
「関係の絶対性」とは、力、具体的には主として軍事力と経済力を持っている集団と、それによって遠隔的に収奪されている人々との間におけるそのような客観性の中で、各集団構成員の自由な意思による善意や思想内容や無関係性に関わりなく成立する絶対的な敵対関係、を指す。
2 勝利の方法。社会の魅力性
2001年の同時多発テロは、冷戦終結後の世界構造と、中東問題の状況と、湾岸戦争でのアメリカの勝ち方と、イスラム極端主義者の想像力を並べて考えれば、それ以外にはないほど当然に発生して不思議のないものである。力による圧殺という方法は、核の自爆テロという恐怖からアメリカを解放しない。
関係の絶対性を、関係の絶対性によって否定することは出来ない。東西冷戦の終焉は、敗者の報復テロを生んではいないが、それは勝ち方が正しかったから。世界中に逃げ散って潜むテロリズムたちの息の根を止めることが出来るのは、アラブと貧しい民衆が彼らを必要としない状況である。
関係の絶対性を強いる構造の総体を、総体として捉えて解体し、転向する思想が確立されない限り、「自由な社会」というのが、自由な社会として生き続ける仕方はないということを、2001年の事件は明るみに出してしまった。
3 黙示録の転回。「関係の絶対性」の向こう側はあるか
カール・ヤスパース呼んだ「軸の時代」から2000年間、我々はその時代の巨大な思想、宗教、哲学を拠り所として生きることが出来た、文明システムを作り上げてきた。しかし、「関係の絶対性」の問題は取り残されてきた。2001年の同時多発テロは、この「関係の絶対性」という問題を解かない限り、この文明システムは崩壊するであろうことを明るみに出したのである。
吉本隆明は、関係の絶対性の思想を、「自立」の思想という形に止揚したが、この考えを用いると、外部諸社会、諸地域を収奪し、汚染することのなく、自由と幸福を永続する社会システムというものを考えることが出来る。だが、その実現は可能だろうか。
著者の『自我の起源』において、D.H.ロレンスが語ろうとしたことが、人間が自由と幸福を求めるときの、最終的に確かな根拠となるものであることを確認した。
著者の『現代社会の理論』において、人間という存在の事実に根拠を置くことによって、自由と幸福を永続的に持続することの出来る社会を、外部を収奪し抑圧することのないような仕方で、自立するシステムとして構想することが出来るということを追求した。
ロレンスの『アポカリプス』は来るべき1千年紀の黙示録、「関係の絶対性」の向こう側への扉を開く黙示録、憎しみの黙示録に代わる愛の黙示録、復習の黙示録に代わる共存の黙示録であった。

六 人間と社会の未来-----名づけられない革命
1 S字曲線・「近代」の意味
生物学の「ロジテックス曲線」は、(人間が生物である以上)人間にも適用できるといえる。リースマンは『孤独な群集』において、これを初めて社会学に適用して「S字曲線」と名づけた。地球上の人類は、100万年前には殆どアフリカ大陸に存在していて、その推定数は125000人。旧石器時代の終わりころの1万年前には全大陸に存在していて、その推定数は500万人。500年前には農耕と牧畜、交易と都市、国家と貨幣経済が出現してきた文明の時代で、5億人。西暦1650年には6億人であったが、①自然征服の精神と技術、②貨幣を析出する交換経済、③都市という密集する社会の形態が工業生産として結集することで2000年には60億人となった(因みに日本では3000年ほど前の縄文晩期で30万人、徳川時代初期ころで3000万人)。
20世紀後半から、人口増殖の限界の認識が共有され始めた。このことは、1960年代の『沈黙の世界』『苦海浄土』、1972年の『成長の限界』、1980-90年代には国連環境会議や(NGOの)ワールドウオッチ研究所などのレポートに現れている。
ヨーロッパ先進国、北米、日本だけではなく、メキシコ、韓国、タイでも人口の増加率は1960-70頃に変曲点を持ち、ここ1500年ほどで見てみると人口のS字曲線が描ける。更に、5年平均での世界人口の増加率は1965-69年をピークに急減していて、この時期が人類史における特別な時代であったことを示している。
2 人間の歴史の五つの局面。「現代」の意味
数千年の文明の時代は「近代」の助走期間であり、「現代」は「近代」の爆発の最終の位相であり巨大な過渡期であるといえる。
3 現代人間の五層構造
人間の歴史は原始社会から未来社会にかけて次の五つの局面に分けられる。①原始社会(定常期)、②文明社会(過渡期)、③近代社会(爆発期)、④現代社会(過渡期)、⑤未来社会(定常期)。
現代人間は五層構造を持っている。「人間」社会は、地球の生命潮流の一部分であり、人間は継起的ではなく重層的な存在として共時的生き続けている。このことは、人間理解に決定的に重要である。
現代人間の五層構造とは次のようなものである。第一層「生命性」、人類が道具と言語を駆使して「人間」という生命存在の形式を獲得し、第0次産業革命を果たす層。第二層「人間性」、農耕牧畜の第一次産業革命を果たす層。第三層「文明性」、工業生産力による第二次産業革命を起こす層。第四層「近代性」、情報化を中心とする第三次産業革命を起こしている層。第五層「現代性」、未来社会を築き上げるはずの過渡期の層。
4 名づけられない革命
(物理的に)有限な世界という事実と「情報化」及び「消費化」というこの現代の革命を直視すれば、その向こう側には未だ名づけられていない革命が見えてくる。それは、生産の自己目的化を転回して「享受することの幸福」の本原性を復位する「消費化革命」と、マス・メディアの一方向性を転回して「交信」のテクノロジーを用意する「情報化革命」により見はるかされる、人間達と自然が共存した永続する世界なのだろう。

補 交響圏とルール圏-----〈自由な社会〉の骨格形成
1 「シーザーのものはシーザーに」。魂のことと社会の構想
理論として肝要なことは、魂のことの相渉る他のないものとしての、社会の理論の問題である。「貨幣のこと、権力のこと」を、魂は逃れることができない、ということである。〈魂の自由〉を相互に解き放つような社会の全域にわたる形式を、どのように構想することができるかという問いである。〈魂の自由〉を相互に解き放つ、という言い方は、「それぞれの主体にとって〈至高なもの〉」を相互に解き放つ、と表現してもよいだろう。
(注:「シーザーのものはシーザーに」という表現は、聖書に伝わるイエスの言葉からの引用で、ロレンスの『アポカリプス』に出てくる。シーザーとはローマ皇帝を代表した言い方で、権力=ルールを作る人、という意味が込められている。)
2 〈至高なもの〉への三つの態度。社会の構想の二つの課題
著者は、バタイユが『至高性』の中でニーチェを引き合いに出している部分を引用して、〈自由な社会〉の条件を構想するときに、われわれが引き受けねばならない困難な構図としての二正面闘争を提示している。それは、失われた至高性の回復と他者に強いられる至高性の一切の形式の否定、である。
(小生注:題目の三つの態度とは、ニーチェがバタイユの言う「至高性」に対して取った態度とバタイユが言っているもので、そこでは至高性の回復以外に、キリスト教世界において強いられた至高性を外的なものと内的なものの二つに分けている)
3 社会構想の発想の二つの様式。他者の両義性

   社会を構想する仕方には原的に異なった二つの発想様式がある。一つは、「歓びと感動に充ちた生のあり方、関係のあり方を追求し、現実のうちに実現することを目指す」様式、もうひとつは、「人間が相互に他者として生きるという現実に由来する不幸や抑圧を最小にするルールを明確にする」様式である。前者が目指す現実態を〈関係のユートピア〉と呼ぶ。
ここから二つの課題が捉えられる。前者は「関係の積極的な実質を創出する課題」、後者は「関係の消極的な形式を設定する課題」、である。
この二つの課題は、他者の原的な両義性に対応している。つまり、他者は、生きることの意味の感覚と歓びと感動の源泉であり、一方、生きることの不幸と制約の、殆どの形態の源泉であるということである。
社会を構成する二つの発想様式は、(本質においては)対立するものではなくて相補するものである。一方のない他方は(原理的に実在し得ない)空虚なものであり、他方のない一方は危険なものである(他方がないという本質は抑圧を発生する)。
4 〈関係のユートピア〉・間・〈関係のルール〉。社会構想の二重の構成
他者の両義性の二つの他者は圏域を異とする。人はどれだけの関係を必要とするか、と問うてみれば理解しやすい。一方は「主体的な人間としての」他者で、その圏域は事実的に限定される。もう一方は「生存条件の支え手としての」他者で、その圏域は社会の全域を覆う。
われわれの社会構想の形式は、〈関係のユートピア〉・間・〈関係のルール〉という重層性として、いったんは定式化しておくことができる。
〈関係のユートピア〉内部の他者たちは〈交歓する他者〉であり、〈関係のユートピア〉の「間」は〈尊重〉という関係のモードで表現される。つまり、無数の〈関係のユートピア〉たちの相互の〈関係のルール〉が構想され、更に、その〈関係のルール〉は、すべての他者たちが〈交歓する他者〉and/or〈尊重する他者〉として関わるものである。これを〈モデル0〉として図式化しておくことができる。
5 交響するコミューン・の・自由な連合(Liberal Association of Symphonic Communes
〈尊重する他者〉たちの相互協定とルールのシステムは、社会の理念史の文脈では「契約」の関係である。換言すると、われわれの社会構想のうち、全域的なフレームを構成する原理の形式は、近代市民社会の理念のエッセンス、即ち〈共同体・間・関係〉と基本的に同じである。
では、〈共同体・間・関係〉と〈関係のユートピア・間・関係のルール〉の相違はどこにあるかといえば、例えば次のように表現することができる。「交歓する他者たちの関係のユートピア」は「コミューン」という経験のエッセンスを確保しながら、個の自由という原理を明確に優先することを基軸に、批判的な展開を行おうとするコンセプトである、と。あるいは、「連帯」「結合」「友愛」ということより以前に、個々人の「自由」を優先する第一義として前提し、この上に立つ「交歓」だけを望ましいものとして追求するということである、と。
つまり、このコンセプトは、個人の同質性ではなく異質性をこそ積極的に享受するものである。また、個々人が、自在に選択し、脱退し、移行し、創出するコミューンである。これを〈交響圏〉あるいは〈交響するコミューン〉と名づけておくことができる。
〈関係のユートピア・間・関係のルール〉は、これに二重の仕方で徹底された〈自由な社会〉の構想としての、積極的な実質を代入して、〈交響するコミューン・の・自由な連合〉と表現しておくことができる。
6 共同体・集列体・連合体・交響体
ここでは、序のコラムで提出されている「社会のコンセプトの基本タイプ」である、共同体、集列体、連合体、交響体、について再度説明しなおしている(キーワードは重層構造)。
〈交響体・の・連合体〉という社会の構想は、幾千年かの人間の経験の歴史の中で、追求され、試行され、展開されてきたものの肯定的なエッセンスというべきものを、純化し、自覚化し、全面化しようとするものである。
7 モデルの現実化Ⅰ 圏域の重合/散開
〈モデル0〉では、交響圏の圏域は同じ程度であり相互の関係は〈尊重〉のモードであった。しかし、その圏域は単独者であり得るし、逆に規模の上限は純粋形式としては設定できないし、関係は〈交歓〉でもあり得る。上限の極限形式には全体を一つとすることを幻想するイデオロギーがある。
現代の「電子空間」(吉見俊哉)は単独者の交響するコミューンへの多元的帰属を可能にしている。ここに、交響圏域の重合と散開が現れて、〈モデル0〉の二次近似としての図式化ができる。
8 モデルの現実化Ⅱ 関係の非一義性
(歴史上また、現代社会の人々の集団をよく観察すれば)交響圏域の重合と散開と捉えた後にも、〈交響圏〉と〈ルール圏〉の間には分厚い「中間領域」が存在するように見える。
だが、「中間領域」という別の圏域を設定するのではなく、〈交響圏〉と〈ルール圏〉をもう一度関係の成分(様相)として捉えなおして、これらを相対的な優位性により再定義するのが妥当である。
ルールは交歓と相反するが、またそのつど乗り越えられてゆくものである。また、われわれはすべてのものとの間に、不可視の交響性の様相を予め潜勢している。
9 二千年の呼応
ここまで、冒頭の問い(〈魂の自由〉を相互に解き放つような社会の全域にわたる形式を、どのように構想することができるかという問い)に対してなされた思考プロセスは、なおわれわれの世界の構想を、起動・展開する基軸のダイナミズムとしてありつづける。
というのは、この(思考プロセスの)複層性が、〈自由な社会〉という理念の核心を構成するアポリアと、このアポリアの構成を不可避にしている、〈他者の両義性〉(他者は、生きることの意味の感覚と歓びと感動の源泉であり、一方、生きることの不幸と制約の、殆どの形態の源泉である、という両義性を持っている)という原的な事実に照準する形式であるからである。
(二千年を経て)われわれはもう一度あの逞しい魂の宣明者(イエス)の声とはるかに呼応して言わねばならない。魂のことはわれわれ内なる魂に、シーザーのことはわれわれの内なるシーザーに、と。