2015年6月30日火曜日

『天災から日本史を読みなおす』磯田道史 中公新書【感想】

ピエール・ドゥ・ロンサール
『武士の家計簿』以来著者のファンである。理由は、著者の言説が、歴史の内実は生身の人間の生活から読み解かれるものであるという考え方と、古文書を専門的な技術と総合的な知識を駆使して、経験に基づいて解釈するという実に科学的(本来の意味における)な方法によって貫かれているからである。
 東日本大震災を契機に書かれた本書は、日本列島において過去に発生した自然災害の歴史も、適切な古文書を探して解読していけば相当なことが判ることを改めて教えてくれた。だが、同時に不幸な歴史は時とともに忘れ去られていくという史実も思い出させてくれた。地震、津波、噴火、異常気象のもたらす異常な風水害、これらは日本列島においては特に頻度も程度も高い。にもかかわらず、過去から学ぶことが出来ずに悲劇が繰り返されるのはなぜだろう?
 いま一歩突っ込んで考えれば、誰が学びそれを生かして実行するのか、またそうする動機はなにか?関連して悲劇に見舞われる人々の差異は?等々。本書はこれらの解明の第一歩になると思うが、その次のステップも視野に入っている。
2014年、広島市の八木地区において、そこが「蛇落地」と呼ばれていた場所に作られた団地で発生した大規模な土砂崩れによって多くの犠牲者が出た。このことに関連して、本書で次のように書かれている。「この時代の日本人は技術と経済成長の信者であった。自然はコントロール出来ると、人間優位を驚くほど信じた。土砂崩れにしろ、原発事故にしろ、この時代の思想のツケを後代の我々は、いま払っている。(改行)この地の領主が「自然に勝てる」と思い始めたのは、戦国時代のことであったらしい。・・・」。八木を治めた香川一族の子孫が著した古文書には、先祖が享禄五年(1532年)に大蛇を退治した、と自慢気に書き残されている。町史に載っている「蛇落地観音像」の写真のお顔は慈悲深く「みているうちに、なんともやりきれなくなってきた。」

2015年6月28日日曜日

『家父長制と資本制』上野千鶴子(岩波現代文庫)【感想】

 この本を読んで、フェミニズムという思想の理解が飛躍的に進んだような気がしました。といっても、もともとフェミニズムとはなんであるか殆ど理解していなかったので当たり前ではありますが。

 解放の思想は解放の理論を必要とする。その理論は三つほどあるが、共通してマルクス主義の射程から抜け出ていない。というのは、マルクス主義だけが、殆ど唯一の、近代産業社会についての抑圧の解明とそれからの解放の理論だったからである。だが、マルクス主義の解明は「家族」には及ばないのでフロイト理論が持ってこられるが、それは家族の抑圧構造を解明する理論ではあっても解放のそれではない。「フェミニズムは、フロイト理論の助けを借りて、近代社会の社会領域が「市場」と「家族」とに分割されていること、この分割とその間の相互関係のあり方が、近代産業社会に固有の女性差別の根源であることを、突きとめたのである。・・・二十世紀思想の中でマルクスとフロイトは二大巨人であり続け、この射程をわたしたち未だ脱け出ていない。」なるほど!。「マルクス主義フェミニズムは、階級支配一元説も、性支配一元説も採らない。とりあえず資本制と家父長制という二つの社会領域の並存を認めて、その間に(ヘーゲルのいう)弁証法的関係を考える。」なるほどなるほど!!。多分30代の頃の上野が考えたこの整理はとても判りやすく説得性がある。因みに、家父長制とは昔の例えば封建制下のものではなくて、近代から現代にも続いているものをさしています。
 あれから30年・・・、フェミニズム理論が女性の抑圧と解放にどのくらい役だったのかについて、更に知りたいとは思う。しかし、この本からはもっと広く、様々な差別の問題自体を感じ取ることを第一に、つぎそれを社会構造の問題として捉えてその抑圧と解放の理論を模索し続けるという視点・態度を学ぶことが出来ると思いました。爺~じ。