2019年12月3日火曜日

デカルト『方法序説』ダイジェスト

感想】
数学や理科が好きな子は、この本を読むと良いと思いました。本当のことは、先人に学び
ベルサイユの薔薇
ながらそれを批判できるくらい自分で考えることによって知ることが出来る、ということがわかるのではないでしょうか。

この本は今から370年ほど前に著された、近代学問・思想の原点が示されている古典です。もともと、当時のいわば先端科学技術に関する主著である「屈折光学」「気象学」「幾何学」の序として著されたもので、デカルト自身が、「この序説が長すぎて一気に読みきれないといけないから六部に分けてある(そんなに長いとは思えないのですが)」、と書いてあるほどですから、何が書かれているかは比較的容易に理解できます。
しかし、その内容には哲学的にとても深いものが含まれていて、それは、自然を対象にしたものに限らず「何が真理で何が偽物なのか」について考えるための方法なのです。真偽は自分で考え、自分で納得したものであって、他人のそれではないのです。知識を学ぶことも大切ですが、真偽を判断する方法を学ぶことは更に大切なのです。
デカルトの言葉としてよく引き合いに出される「我思うゆえに我あり」とは、デカルトが「何が真理で何が偽物なのか」ということをとことん突き詰めていった末に辿り着いた言葉だと思います。つまり、すべてが夢かもしれないと疑い尽くしたけれども、どうしても疑えないことが一つだけある、それは、そう考えているこの自分が考えている、ということ自体である、と。この思想は、先ず、自然科学をそしてその応用である科学的知識に裏付けられた技術を飛躍的に発展させました。あまりすばらしい発展だったので、その結果である知識に圧倒されて、デカルトが示したこの思想自体は現代においてかえって忘れられてしまったように思えます。

【第一部】学問に関するさまざまな考察
 良識(理性と同義、「自然の光」という言い方にも繋がる)はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである。わたしたちの意見が分かれるのは、ある人が他人よりも理性があるということによるのではなく、ただ、わたしたちが思考を異なる道筋で導き、同一のことを考察してはいないことから生じるのである。
・わたしは考察と格律(決めごと)によって一つの方法を作り上げ、この方法によって、人並みの精神と短い人生の達しうる最高点にまで少しずつ知識を高める手立てがあると思われた。
 わたしは子供の頃から人文学で養われてきた。けれども、学業の全課程を終えるや、わたしはまったく意見を変えてしまった。というのは、多くの疑いと誤りに悩まされている自分に気付き、わたしを基にして判断する自由を選び取った。
 他の世紀の人々と交わるのは(古典の読書のこと)旅をするのと同じで、あまり多くの時間を費やすと異邦人になってしまい、身の程知らずの計画を目論みかねない。
 私は何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。しかしまだ、その本当の用途に気付いていなかった。数学が機械技術にしか役立っていないことを考え、数学の基礎はあれほどゆるぎなく堅固なのに、もっと高い学問が何もその上に築かれなかったのを意外に思った。
 わたしは神学に敬意を抱き、天国に到達したいと望んでいて、そこへ導く啓示された真理はわれわれの理解力を超えているがきわめて確かなものなので、それらの真理の検討を企てて成功するには、天から特別な加護を受け、人間以上のものであることが必要だと考えていた。
・哲学は幾世紀も昔から、生を享けたうちで最も優れた精神の持ち主たちが培ってきたのだが、それでもなお哲学には論争の的にならないものはなく、従って疑わしくないものは一つもない。わたしは、真らしく見えるにすぎないものは、いちおう虚偽と見なした。
・ほかの諸学問については、その原理を哲学から借りている限り、これほど脆弱な基盤のうえには何も堅固なものは建てられなかった筈だ、と判断した。
 以上の理由で、わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問(人文学)をまったく放棄し----(真と偽を区別することを学びたいという強い願望をたえず抱いていて、旅をしてさまざまな経験を積むことになる。1618年頃)。
・そこ(旅)から私が引き出した最大の利点は次のことだ。つまり、われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々の大勢の人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ。こうしてわたしは、われわれの自然(=生まれながらの)の光をさえぎる沢山の誤りからだんだん解放されたのである。

【第二部】学問探究方法の規則
・その頃私はドイツに居た。わたしは終日ひとり炉部屋に閉じこもり、心ゆくまで思索にふけっていた。その思索の最初の一つは、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、一人だけで仕上げた作品ほどの完成度が見られないこと、同様に、唯一の神が掟を定めた真の宗教の在り方は、他のすべてと、比較にならぬほどよく秩序づけられているはずなのは確かであること、(etc)。従ってわれわれの判断力が、生まれた瞬間から理性を完全に働かせ、理性のみによって導かれた場合ほど純粋で堅固なものであることは不可能に近い。
・ 私は次のように確信した。一個人が国家を、学問の全体系や、その教育のための秩序をその根底からすべて変えたりするのは理に反している、と。けれども、私がその時までに受け入れ信じてきた諸見解すべてに対しては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ、と。後になって、ほかのもっとよい見解を改めて取り入れ、前と同じものでも理性の基準に照らして正しくしてから取り入れるために、である。
・だが、理性によって導きいれられたのではない意見をすっかり捨てることを始めようとも、思わなかった。その前に十分時間をかけて、とりかかった仕事の案を立て、私の精神が達しうるすべての事物認識に至るための真の方法を探究してからだと思ったのである。
 この三つの学問(論理学、幾何学、代数)の長所を含みながら、その欠点を免れている何か他の方法探究しなければ、と考えた。(そのためには)次の四つの規則で十分だと信じた。
1)明証的に真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れない。
2)問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割する。
3)思考を、単純なものから順番に複雑なものの認識へと順番に導く。
4)すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさない。
・(今日では数学という一つのジャンルに含まれる)これらの学科において、比例だけを一般的に検討すればよい、比例をいっそうよく考察するためには、これを線として想定すべきこと(上記四規則の、普遍数学、解析幾何学、高次方程式への適用によって成功を収めたので)。
・しかし、(数学に用いた)この方法でわたしが一番満足したのは、自分の精神が対象を明瞭かつ判明に把握する習慣をだんだんとつけてゆくのを感じたことだ。それら(数学以外)の学問の原理はすべて哲学から借りるものであるはずなのに、わたしは哲学で未だ何も確実な原理を見出していないことに気がつき、何よりも先ず、哲学において原理を打ち立てることに努めるべきだと考えた。

【第三部】この方法から引き出した道徳上の規則のいくつか
 理性がわたしに判断の非決定を命じている間も、行為においては非決定にとどまることのないよう(仮の)道徳を定めた。
1)わたしの国の法律と習慣に従うこと。
2)自分の行動において、どんなに疑わしい意見でも一度決めた以上、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと。
3)運命よりむしろ自分に打ち克つように、世界の秩序よりも自分の欲望を変えるように、そして一般に、完全にわれわれの力の範囲内にあるものはわれわれの思想しかないと信じるように、つねに努めること。
 以上の格律の結論として、この世で人びとが携わっているさまざまな仕事をひととおり見直して、最善のものを選び出す。
  以上の三格律は、(自分が判断力を獲得する)時節が来て他人のより優れた意見を取り入れたり、よく判断することで知識や善を獲得したりする自分を教育し続けるという計画に基づいたものである。
・これらの格律をこのように確かめ、これらを、わたしの信念の中で常に第一であった信仰の真理とあわせて、ひとまず別にした後は、自分の意見の残り全部について、それらを自由に捨て去ることが出来ると判断し---(この企てを達成するために炉部屋を出て旅に出る。1620年3月頃)。
・数学や物理学の後世に残る研究もして九年経過し、スコラ哲学より確実な哲学の基礎も求めるに至っていなかったが、(とあることが契機になって)新たな学問を構築するために今度はオランダに隠棲した(1928年末)。

【第四部】神の存在と人間魂の存在証明。
・しかしすぐその後で、次のことに気がついた、すなわち、このように全てを偽と考えようとする間も、そう考えているこの私は必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえにわたしは存在する」というこの真理を哲学の第一原理としてためらうことなく受け入れられると判断した。
・私は一つの実体であり、その本性は考えることだけにあって、いかなる物質的なのものにも依存しない。わたしを存在するものにしている魂は、身体からまったく区別され、しかも身体より認識しやすい。
・一般的に一つの命題が真で確実であるためには何が必要か考えてみた。(そして)次のように判断した。わたしたちがきわめて明晰かつ判明に捉えることは全て真である、これを一般的な規則としてよい。
 わたしが疑っていること、従ってわたしの存在はまったく完全ではないこと、-----自分より完全である何か(完全な存在の観念)を考えることをわたしは一体どこから学んだかを探索しようと思った。そうして残るところは、その観念はわたしより真に完全なある本性によってわたしの中に置かれていて、その本性は、つまり一言でいえば神である本性である。
・続いてわたしは、他の真理を探究しようと思い、幾何学者の扱う対象を取り上げた。そして、すべての人がこれらの証明(幾何学の)に帰する確実性は、明証的に捉えることだけに基づいているのに気がつき、また、それらの証明の中には、その対象の存在をわたしに保証するものは何ものもないことに気がついた(例えば、三角形の内角の和は二直角であるという観念は明証的に判明であるが、その三角形自体の存在を保証するものは何もない)。これにひきかえ、完全な存在者についての観念には存在が観念の中に含まれていることをわたしは見出した(神の存在証明)。
・神の観念と魂の観念が感覚の中には決してなかったのは確かである(また、想像力に基づいて神の観念を導出することも出来ない)。想像力も感覚も、知性が介入しなければ何もわれわれに保証することが出来ない。
・睡眠時の想像が時には覚醒時と同様かそれ以上に生き生きとして鮮明であるとしても、理性はやはり次のように教えるのである。われわれが完全無欠ではないゆえに、われわれの思考もすべてが真ではありえないのだから、思考の持つ真理性は、夢の中においてよりも、むしろ目覚めて持つ思考において、間違いなく見出されるはずであると。

【第五部】自然学の諸問題の秩序。
その頃、いわゆるガリレオ裁判などスコラ哲学の自然学に反する学説に対する宗教弾圧が行われ、デカルトも自説をあからさまに公開することを断念した(『宇宙論=世界論』は生前に公刊されず)。第五部と六部では、そのような当時の様子が伺える。
第五部では、主にデカルトの自然学の概要について述べられている。その対象は、天体、地球、光、地上の物体、物質の変化、生命体とそれに含まれる人間自体に及んでいて、それらの考え方が近代科学の基礎となっていることがよく分かる。
・例え神が最初はこの世界にカオスの形しか与えなかったと仮定しても、同時に神が自然法則を設定し、自然がいつもそのように働くよう協力を与えたとさえするならば、創造の奇跡(天地創造)を損なうことなく次のように信じうるのである。つまり、純粋に物質的なものはすべて時間とともに、現在われわれが見るようなものになりえたのだろう、と。
・可能な限りわれわれの行動を真似る機械があるとしても、だからといってそれが本当の人間ではない、と見分けるきわめて確実な二つの手段がある。それは、言葉や記号を使うことと、自身の認識によって働く理性であり、この手段は動物と人間を区別するにも用いられる。

【第六部】自然の探究においてさらに先に進むために必要なこと
・わたしは、これら(自然学に関する知見とその応用)を隠しておくことは力の及ぶ限り万人の幸福を図るべし、という掟に照らして大きな罪を犯すことになると思った。なぜなら、これらの知見は次のことを私に理解させたから。すなわち、われわれが人生に極めて有用な知識に到達することが可能であり、実践的哲学を見出すことができ、この実践的哲学によってわれわれを取り巻くすべての物体の力や作用をはっきり知ってそれぞれ適切な用途に用いることができ、こうしてわれわれはいわば自然の主人にして所有者たらしめること。
・人生の短さと実験の不足とによって妨げられさえしなければ、その道を辿って間違いなくその学問が発見されるはずだと思われたので、この二つの障害に対して次のこと以上によい策はないと判断した。それは、自分の発見したことを忠実に公衆に伝え、優れた精神の持ち主が更に先に進むように促すことだ。先の者が到達した地点から後のものが始め、こうして多くの人の生涯と業績を合わせて、われわれ全体で、各人が別々になしうるよりもはるかに遠くまで進むことができるようにするのである。実験については、知識が進めば進むほど、それが必要になることをわたしは認めていた(必要なだけではなく、膨大になることも説明がされている)。
・実験がこれらの結果の方をきわめて確実なものとし、そうした結果が演繹される原因の方は、結果を説明するのには役立っても、証明するのにはそれほど役立たない。それどころか反対に、原因の方こそ結果によって証明されるのである。そしてわたしはそういう諸原因を仮説と名付けた。
わたしが、自分の国の言葉であるフランス語で書いて、わたしの先生たちの言葉であるラテン語で書かないのも、自然の理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人よりも、いっそう正しくわたしの意見を判断してくれるだろうと期待するからである。