統治二論(ジョン・ロック著。加藤節訳、岩波文庫2010)
--読書感想--
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300年程前のイギリスにおいて、国家統治の正当性を巡って議論が戦わされた。それは王権にあるのか、それとも・・・。ロックは、王権神授説には根拠が無いことを、論を尽くして説明し、そして「人間には、”生来の自由”というものを所有する権利」があるから、この権利を侵す王権神授説は正義に反すると述べている。なぜそんな考えを持ちえたのだろうか?
前編 統治について
王党派を擁護するフィルマーの王権神授説が、無根拠で、現実の統治においては役立たない有害な考えであるとの批判が書かれているのだが、その中においてロックの政治思想の根幹となる考え方が述べられている。なかでも最も基本となっている考えは、「人間には、”生来の自由”というものを所有する権利がある。なぜならば、神の被造物である人間は、神の意志を実現する義務があるからだ」という考え方である。
上記の考え方は民主主義思想の重要な契機をなすものではあっても、その根拠を「神」に置いているから、その神を信じないものにとっては説得性がないことになる。だが、ロックは、生殺与奪の権力を持つ支配者とその服従者が存在する人間社会の「統治」の在り方において、正当にも、隷属ではなく人間の自由に正義の根拠があることを直観し、当時の王党派を擁護するフィルマーの王権神授説はこの正義に反すると考え、その反論をするための理論付けにロックの神学を用いたのだ、と思う。
本書を読むことによって、ロックの神学あるいは神の向こう側にロックが見ようとしていたものが「何であるかを知る」ことも面白いけど、それよりも、「何であるかと考える」ことの意味に気付くことが、後生のヒューム、ルソー、カント、ヘーゲルの正義や自由の概念を深くより捉えることにつながり、ひいては政治哲学の本質へ迫ることにつながるのではないかと思う。
後編 政治的統治について
人間は、自然状態における自然権の行使が叶わなくなると、その自然権を放棄することに同意して、生来の固有権の保全に必要な統治の権力を共同体に信託し、政治的共同体を創出する。この統治権力の中で、神聖にして最高の権力は法を作る権力であり、その法を執行するのは執行権力で、この二つは区分される。しかし、この二つの権力が、当初の同意と信託に反する場合には、人民はそれらの権力を覆すことの出来る権利を持っている。
政治的統治についてのロックの理論は、300年以上も経た今日においても尚、色あせることなく輝いているように見える。その理論の根幹にあるものは、一つは前編に述べられているロック流の神学であり、もう一つは人間と社会の現実や歴史に対する客観的な事実を基盤とした論理的考察である。そのようなロックの理論は、神学に足場を置いているからには、やはりそこには限界があるのだが、ホッブズに始まり、後世のルソー、カント、ヘーゲルへと続く近代政治哲学の流れのなかにおいて読み取るならば、間違いなく不朽の古典の一つと言えるだろう。アメリカ建国の礎、ひいては日本国憲法に大きな影響を与えていると言われているロックの思想は、そのような意味においても大変興味深いものがある。
※もう少し詳しく知りたい時には、別のブログ「爺ーじの哲学系名著読解」をみてね